旧心理学教室の現状
戦前の心理学教室の建物は現在も残っております。今は文学部の研究室になっています。2月21日にも書きましたが、文学部の北側の部分です。2006年2月17日朝尋ねてみました。当日は台湾はまだ冬休み中(台湾の学校は旧正月前後が冬休みになります、ちなみに2006年の旧正月は1月29日でした)で、キャンパスには人もまばらで、文学部の建物中はがらんとして、誰もいませんでした。天気も小雨交じりで、蕭然として、古の建物よく演出しておりました。はじめは、西北の階段より二階に上がりました(手元の資料によりますと心理学教室は二階にあったとのこと)。写真は、階段を下から見上げたところです。ここからもこの建物の歴史が感じ取れます。
階段を上り詰めると、長い廊下につながっていました。廊下の南側は中庭に面していて、北側にほぼ同じ大きさの研究室が20ほどつながっています。この建物は、夏の暑さの対策だと思われますが、天井が非常に高く3メートル近くあるように感じられます。
ただ、教員3名、学生の非常に少ない心理学教室にこのようにたくさんの部屋が必要だったのか、不思議に思われて仕方ありません。
三番目の写真は、研究室のドアを斜めより写したものです。この様式のドアは、戦前よりあったものか、戦後作り変えたものかは分かりませんが、木製でかなりの年代は感じられます。ドアの上に回転式の通気用の窓があり、その周りに網戸が取り付けられており、蚊が入り込まないように工夫されています。正面から撮影したかったのですが、下から上までの高さは少なくとも2.5メートルはあり、私のカメラでは入りきりませんでした。この中に防音室や、その他いろいろの実験室があったのだと思うと、果たしてそれらがどのようにここに存在していたのか興味は尽きません。
あいにくどの部屋もしまっており、中には入れませんでしたが、一番西から東まで、歩いてみました。
最後の写真は、東の端の渡り廊下より、中庭を見下ろしたものです。
1 Comments:
At 10:07 下午, 匿名 said…
「心理学研究」第九巻(1934)195-6ページの台北帝国大学心理学研究室落成の記事中の平面図によれば廊下の奥から講義室、機械室、工作室、温湿調節室、テスト室、材料室、防響室、教授室、助教授室、体力測定室、反応時間室、視覚室、写真暗室、実験演習室、図書室の順にあったように記されています。うち講義室、機械室、実験演習室、図書室が20坪、他が10坪前後とのことですが、現在はいかがでしょう。収容学生数は各学年5名と計画されていたとのことですが、大変贅沢な設備です。実際は専攻生は開学から閉学まで中川弥一、櫻林仁、田島直治、早坂泰次郎の4名のみであった。
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